ヒーリングとの出会い

友人が交通事故で突然亡くなったとき、人生、死というものに向きあい
無力な私がいました。
スピリチュアルなことがまったく認められていない時代(20数年前)
だったので、亡くなった友人を助けてもらいたい、自分も助かりたい、
という思いでいろんな宗教ものぞいたりしましたが、
どれも満たされることがない心でいました。

そんな時、叔母の紹介でカウンセリングを受けました。
『偶像崇拝を止め自分らしく生きなさい』言われたときに、
涙が止まらなくなりました。
神の眼のような木村裕昭先生というかたです。
木村先生はもと外科医師で、手術を数多くこなしていくうちに、
人間には自然治癒力があり目に見えない不思議な能力が
あると気がつき東洋医学に興味を持ち、外科だけでは治らない
ということで、医師を辞められたという経緯があります。
2年間先生の講座に通い、瞑想や呼吸法など教えてもらいました。
私は色はその時はぼんやりでしたが、オーラが見えるようになりました。
先生からは
『20年後には世間的に普通に目に見えない世界のことが
語られる時代が絶対に来る』
とおっしゃっていたのですが、今本当にそのとおりになっています。

そのころ会社関係で知り合った彼と、遠距離1年で結婚、
しばらく講座に通ってたのですが、妊娠をきっかけに通えなくなって
しまいました。
木村先生からの話の中で
『講座に通って勉強をするだけが、本来の勉強ではない。
実際に生活に根付いてこそ、それがこの世で生きる本当の勉強』
と言う言葉どおりに、それからの20年はまったくこの世的なことのみで
スピリチュアルの教えからはどんどん遠ざかってしまいました。

子供を3人生みましたが、仕事が生きがい人だったので、
一人で子育てをせざるを得なく、私自身、子供がすべて、
の生活になってしまっていました。
仕事がすべての彼は無口で、私が投げかけた問題にまったく
向き合ってはくれなく、その憤りは怒りに変わって、一人で口論を
繰り広げてしまって、まったく相手にされず
解決できることではなくなってしまいました。
夜遅く仕事から帰ってくるのに、私は優しい言葉をかけて
あげられない、悲しい人間になってしまっていたのです。
抜けだそうとしても抜けられない、どうしようもない自分が一人で
もがいていました。
1999年6月、私はひとりで3人の子供を育てていく、
と決心して別れました。

それからの8年間は子供のために必死で仕事をしました。
好きなバレエやダンスも続けていましたが、結局自己中なことでは
ないかと、自問自答のなかで、罪悪感でいっぱいになっていました。
子供中心から仕事中心の生活で、いらいらしては子供にあたって
いました。
(鬼のような顔をしていた、と今になって子供に言われています(汗))
子供は不登校になったり、プチ家庭内暴力で、
自分の心がいつも『助けて!』と叫んでいました。
どうして私ばっかりこんな目にあうのか、母子家庭だから子供が
こうなるのか、と自分を責めてばかりいました。

2006年11月頃、バレエの友人がスピリチュアルに関心があって、
オーラの話が出ました。私は以前から普通に見ていたので
そう言ったら、まったく普通じゃない!と言われ
そこからいろんなサイトを紹介してもらいましたが。
世の中があまりに変わっていてびっくりでした。
2007年4月、BIOSの岩井さんにお会いして、やすらぎの部屋
フラワーエッセンスクラスを紹介していただきました。
それからはどんどん楽しいことをしていきたい、
と思うようになりました。

その年の5月、耳の雑音がして突発性難聴と診断されて
しまいました。自分ではまったくストレスを感じてないつもりだった
のですが、これは自分のための休暇だ、と開き直り
一ヶ月休職しました。
いろんなことを考える時間が与えられました。
病気がきっかけで、スピリチュアル的な生きかたをしていきたい、
と思うようになりました。そうすると、いろんな学びやシンクロが
ありました。そして、だんだんと好きなことを仕事にしたい、
という思いが溢れてきました。

シンクロや不思議なこともたくさんありましたが、
一番手に入ったのは、『家族の愛』です。
今では、あれだけ許せなかった彼も、子供の結婚式には
出席してもらいたいと思っています。
小さいころの満たされなかったこと、両親とのわだかまりも
思い出に変わりました。


いつか身体を離れるときに
『良い人生だったな~』
と言えるために。
[PR]

by greensleaves77 | 2009-06-05 02:00 | プロフィール